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2015年12月14日月曜日

Netflixオリジナルコメディは必見です① Master of None(マスター・オブ・ゼロ)

*何作品か紹介をしようと思ったのですが、master of Noneへの賛辞が長過ぎて、息切れ増した。他のは次回にまわしたいと思います。


ゴールデン・グローブのノミネート作品が発表になり、オンライン・コメディがメキメキと幅をきかせていることを、どこかの媒体がレポートしていましたね(どこだったか忘れた…Variety.comとかだったかもしれない。

Inside No.9 のS2が放送になったときに、誰もが口を揃えて「才能のあるクリエイターは、誰にも阻まれない環境で、思う存分やりたいことをとことんやらせてもらえるべき、という最高のよい例だ」と絶賛していたこともありましたよね。

今Netflixはコメディのクリエイターさんたちに”誰にも阻まれない環境”を提供しているのかもしれない、と次から次へと「うおーーーー!すっげーーーー!」な作品を観るたびに思ってしまうのです。Netflix内では配信開始日に国境を超えて観れちゃう&国境を超えた視聴者が対象になるので、塵も積もれば的な算数で、ニッチなファン層をターゲットにできるのかもしれない…。

今回、とくに力を入れて紹介したいのが、(日本では認知度が低くて、ホントにツライのですが)Parks & Recreationなどで大人気の米アジアン・コメディアン、アジス・アンサリ*が共同執筆し、かつ主演するMaster of None (邦題:マスター・オブ・ゼロ)です。ゴールデン・グローブでノミネートされてるみたい?ですよね。
あ、ピザボーイ 史上最凶のご注文 [DVD] でジェシー君と共演しているので、観たことある方も多いのか!



前述の環境を利用し、従来の米コメディと一線を画した、画期的なコメディ・ドラマを作り上げたといたく感動しています。実際、このコメディを観た次世代アジア系欧米芸人さんが何人も、「オレが/ワタシの野望を見事なまでにやられてしまったくらいすごいコメディ」と嘆きながらも大絶賛しています。


プロット展開はクラシック。両親がAmerican Dreamを頼り、片道切符でアメリカにやってきた(80年代)アジス扮するデヴはその息子で、いわゆる”ココナッツ”。第2世代のアジア人なので、中身は100%アメリカなのです。NYでCMやB級映画の俳優をして、結構良い暮らしをしている。そんな彼の問題や女性関係、家族のことなどを含めた日常生活を描いたものです。

ちょっと全然すごく聞こえないんだけど…と思う方がいらっしゃるかもしれません。しかし、コレがすごいんです。なぜって、第二世代のアジアン・アメリカンもしくはブリティッシュをそのまま描写したコメディって意外とあんまりないから。第二世代のアジアン・アメリカンを”アメリカ人”として”主演”するコメディって快挙に近いんじゃないでしょうか? このTVシリーズ中で、実際にアクセントをネタにした、オーディションのシーンがあり、やっぱりそうか!と再認識させられました。

最近のですらヒットコメディをよっく思い返してみても、いわゆる”エスニック・マイノリティ”ってステロタイプを基盤にキャラ設定してある。Modern Familyのグローリアも、Big Bang Theoryのラージもそうですよね。グローリアの中の人は、あのアクセントは演技上だし。ラージの中の人は、育ちがインドだったので、そこそこアクセントはありますが、スクリーン上ではそれを誇張している。 

英国TVコメディでいったら、この観点からすると、目も当てられない状態です。
映画でeast is eastという画期的な名作とかあったけど、概ねスタッフおよびクリエイターともに白人独占市場。最近のヒット作Citizen Khanも、Citizen Khan自体がGoodness Gracious Me チーム以来の快挙じゃないかと思います。ちなみにカーンおじさんの中の人が30代の超ブリブリブリティッシュ。今後それをカミングアウトしたコメディがどこまでできるか、疑問符です。ただし、この1−2年間のロメッシュ・ランガネイサンさんの快挙っぷりと爆弾級の面白さで、かなり業界のトレンドが変わってきているとは思います。

Master of None マスター・オブ・ゼロがなぜそんなに素晴らしいかというもう一つの理由として、差別はあってはならないことが常識となっている社会でも、無意識下にでてきてしまう差別がらみのぎくしゃく感を見事に描き出しているところにあります。 微妙なニュアンスだったり、態度だったりがちょろちょろ顔を出し、ちくちく刺して来る。デヴの仲間のことも通して誰もがつねにそういう世界のなかで生きているのだ、という姿勢でナチュラルに描きます。5話目だったか6話目くらいで、デヴのガールフレンドへとなっていくレイチェルが(白人のかわいい女の子)女性蔑視とまではいかないけれども微妙にそれを感じる居心地の悪い世界に生きていることを描くシーンが素晴らしかったです。しかもこの辺りからシリーズ自体のトーンが変わり、ノア・バームバック/ウディ・アレンの専売特許なトーンを出してきているんです。人種とかの話をここで持ち出すのは最高に皮肉になりますが、今までウディ・アレンをできたアメリカ人がほぼおらず、頼みの綱なのがノア・バームバックかもしれないなんて思っている人がオレだけではないなか、あのアジス・アンサリが「オレが書かなきゃこういうのはやらせてもらえる環境じゃなかった」と華麗にウディ・アレン色をやってのけた。コレは本当に本当にすごいことなんじゃないかと思うんです。アジス・アンサリ、すごすぎます。
かっこいいってコレをいうんじゃないかと思います。

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