イギリスを主とする海外コメディをガツガツご紹介するブログです。産地直送のイキのよいコメディ情報を独断と偏見でピックアップして(だいたい)絶賛します。***トホホな事情が発生して今まで書いていたGo Johnny Go Go Go を更新できなくなってしまいました(涙)今までの膨大な海外コメディ記事はhttp://komeddy.blog130.fc2.com/です。


2019年3月11日月曜日

(もしかしたらネタバレかも!)リッキー・ジャーヴェイス脚本・監督・主演、ネトフリTVシリーズ「アフター・ライフ/After Life」は素晴らしい作品です。バスデン効果抜きにしても超必見です。

日本でももちろん同時配信だと思います。
ネットフリックスで3月8日より大絶賛配信中のAfter Life。リッキー・ジャーヴェイスが脚本、監督を手がけ、キャストは今までリッキーのプロジェクトに関わってきたタレント勢含め、超イングランド人構成で、ロンドンとへメル・ハムステッドでほぼシングルカメラで撮影してる、超Lo-Fi作品。バスデンさんが義弟役でものすごい時間出演していることでもオレの中では超話題です。

スタッフ構成も抜かりなく、プロデューサーさんは数々の英コメディ番組を手がけるなか、ExtraとかLife is Too Shortとかリッキーと一緒にやっていたチャーリー・ハンソン氏。制作には意思疎通が肝ですからな。トレーラー。




(バスデン情報:22秒後くらいに出てます。たしか、そう騒いだ記憶が・・・)

一番簡単にいうと、「こんなことすでにやり尽くされてるじゃねーか」とか「何か新しいことを新しい角度でオレらしさが出る内容にしないと」とか的な邪念を取っ払って、ほんとのほんとにやりたいことを弄らずストレートに、思いを込めて、丹念に作る。そして周りもそれを邪魔しねーで信じて見守るってのが一番成功に繋がる、っていう例が増えたんじゃないかと思います。結果的にリッキーは誰もが新境地を開いたと賞賛する傑作を生み出したと思います。

The Office時から笑いの着眼点は一貫してますよね。その中に、社会の弱者や不器用者は含まれ続けている。その素材をどう見せるかというところで、The Officeはフォーマットも含めマイルストーン的大成功を遂げた、と。エキストラはさておき(リッキー自身がセレブ強者として認知される前後に制作されたセレブ強者を主に取り扱っているので)その後はポッドキャストを含め、論争の的になるコンテンツが多く、個人的にも複雑な感想を持ったことを書き続けておりました。で、こうした過去引っかかっていた要素が消化されているのがAfter Lifeと思いました(*1)。

After Life のリッキー扮するトニーは、ガンで亡くなった最愛の奥さん亡きいま、大絶賛鬱祭りでやり投げの人生を送ってます。言いたいことをいってやりたいことやって人を不快にして言動も失礼だけど文句ある? 世の中は頑張ったって努力したってそれを利用されるようにできてるんだよ。人に気い使ったって報われることなんてない。いつ人生終わったってかまやしない・・・と。職場の空気も知ったことか、彼を気遣う人の気持ちも知ったことか。子どもだから、とか、若者だから、とかそういった理解を一切示そうとしない。そんなことしたって何も物事良くならない。何しろ妻は戻ってこない。

 トニーは我々視聴者の視点で作られている。そしてトニー以外の登場人物たちはいわゆる社会の強者ではなく不器用な人たちで”奇妙”な要素を持ち、この「奇妙」さが、トニーに弄られ、時にダイレクトに、時に含みを持つ笑いどころになっています。これは、今までリッキーのTVコメディ他で見てきたスタイルであり、この正当性が(笑えるのか?という点も含め)論議を呼んでいいた原因のはず。なのですが、今回はきちんと機能しており効果を表しています。リッキーらしいダークなユーモアが効いている。これはなぜかといえば、登場人物たちはカリケチャーではなく、我々が共有できるように描かれているから。そして彼らはトニー(そして我々視聴者)と同じ位置にいるとはっきり描かれているから、が主な理由だと思います。
 具体例をあげると、エピソードが進むに従い、このキャラクターたちがトニーが奥さんを失ったことに対して理解はできるけれど、お前だけが人生辛いんじゃねーんだよ、みんな色々辛いんだよ。理由は様々だけどみんな辛いから互いに思いやるのが人ってもんだろ。それを与えて与えられて幸せ感じて何とか生きていくのが人生ってもんだろ、というこのシリーズ自体のメッセンジャーとなるところですね。
 編集部のレニーとか、トニーに弄れるキャラなんですよ。でも、彼がトニーを全うに批判するところ、そして弄られることを「寛容さ」として描き、その寛容さをトニーに気づかせ感謝させるという展開は「思いやり」を主なテーマの一つとする本シリーズに見事に繋がっている。

社会人として存在しているけど「ヘン」というキャラクターを共感・共有で作り込むのは全く珍しくない。てか昔から良作は大半がそれ。(After Life見てると、最近の傑作「Man Down」や「Uncle」も思い出しちゃう)。だからリッキーはThe Officeに続く(一貫した)自分色を出し、傑作かつ新境地を切り開こう、と別の方向へ別の方向へ進んで行っていたというのはあながち妄想ではないと思っています。別の方向は確かにやりたかったことだろうし、それをやったからこそ、今回のAfter Lifeがあるのだと思う。でもいろんなしがらみとかプレッシャーとか取っ払い、その環境が与えられ、真から作りたいこと、伝えたいメッセージと真っ向から向き合った時に、誰もが賞賛する傑作って生まれるんだな、と思いました。

 個人的には、グッとくるポイントは色々本当に細々あるのですが、一つだけ選ぶとしたら、S1最終話でトニーがケビン・ハートが表紙の雑誌を見て、芸人ならケビン・ハート、と話していたダイアン・モーガン(役名??)のことを思い出し、次のシーンで出社したダイアンがデスクにおいてある中身空っぽだったスノーボールにケビン・ハートの写真が入っているのを発見するところですね。ここで号泣スイッチ入りました。

人生の救いは「思いやり」です。(号泣)

バスデンさんがとにかくたくさん出てるので、見てください。オレ、ネトフリのキャプチャーの仕方がわからないので(普通にキャプっても黒くなる・・・)ビジュアルでご案内するバスデンさんにフォーカスした感想がかけないけど、きっと皆さんも「あーよかった」と思ってるに違いないので、よかったかなと思います。

(*1) DerekとかDavid Brent Movie とかネトフリで視聴可能のリッキーのスタンダップ、Humanityとか未見の人は視聴した方がより「なるほどね」感が増すかもしれません。
Derekの稲村感想はこちら →いやー読み返したけどちゃんと書いてるー(自画自賛)
David Brent Movieの稲村感想はこちら バスデンバスデンうるさいですけど、ちゃんと感想書いてます・・・

(*2) パターン構成というのは、
1トニーの奥さんが残したビデオ
2飼い犬ワンコとのおさんぽ外出(&郵便配達人とのやりとり)
3痴呆症のお父さんのいるケアホームの訪問(ケア担当女性とのやりとり)
4職場(義弟が編集長のローカル紙オフィスでトニーは1特の執筆を担当)
5奥さんのお墓訪問(夫を失った奥さんとベンチで話す)
ですね。




2019年3月3日日曜日

AFI アワード他多数受賞!Bo Burnham脚本・監督作Eighth Gradeは全世界の先生、おとーさんおかーさんが観るべき2018−9年ボロ泣き映画ベスト1です!*グラスゴー映画祭様子の写真あげてます

【これまでのお話】
こんにちは。Bo ウォッチャーの稲村です。
Words, Words, Wordsのガチ初演@Edinburgh Fringe Festival を観た、ざっと数えて200人x25日=5000人位の1人です。天才天才と騒ぎまくってはレポートしてた記事はこちらにございます。(すいません昔のブログサイトだけで21本も書いてる。サイト移転してからも8本も書いてる(汗)) 

そんなボー君の映画「Eighth Grade」。制作時から「イギリスでは公開はいつですか」と断続的に叫び、Redditを頼るも手がかりはないまま米国ではさっさと公開。ほどなく米アマゾンや米ネトフリが配信をはじめる一方、ソニーが配給権を買ったせいか英国に関しては公開のコの字も配信のハの字も出してきやがらない。もはや「みなさんがよくやられているようにクマさんに穴を掘ってもらしか…」と手をかけようとするも、正規ウォッチャーとしては極力正規にお金を払いたい。DVDはリージョン違い(&うちにはブルーレイ・プレイヤーがない。すいません)で買っても見れない。。。と、うりゃうりゃしているうちに2019年1月下旬突然の「グラスゴー映画祭のハイライトはジョナヒル監督映画Mid 90sとボーバーナムのEighth Grade」というお知らせが!!!!!しかもボー君登壇するってゆーじゃないですか!!! このオレが行かないなんてありえないので、映画祭チケット発売当日サイトクラッシュも乗り越えとりましたがな!&英国在住の一般人では一番早く映画をみることに成功しました(ふっ)正直、ボー君がスコットランドびいきのおかげで得してるだけな気もしますが、ボー運強いです。

前おきが大変長くなりましたが以下、予告編貼り付け、あらすじと感想です。




【あらすじ】

ハイスクール進学を目前に控えた13(14歳だったかも)歳のケイラは、いたって普通のティーン。早起きして一生懸命メイクして、ニキビを隠して、ベッドに寝転がりパシャりとやっては「やっだー、朝起きたらこんな顔だったー!」なんて、Snap Chat やインスタに投稿。「自信の持ち方。自分の変え方」なんていう、インフルエンサーもどきのYOU TUBEビデオチャンネルもやってます。でも現実は、友達作りの苦手な女の子で、ポピュラーな子たちからは見えない存在かウザい存在です。こっそりひっそり憧れている男の子もいるけど、もちろんまともに認知されていない。そんなある日の放課後、ポピュラーなクラスメイト、ケネディのお母さんから「こないだはケイラのお父さんのおかげでチャリティものすごく助かったわ!ありがとうって言っておいて!」と話しかけられ、「そうだ。うちの娘のお誕生日パーティがあるのよ!プールパーティなの!ぜひ来てちょうだい!」とそばにいるケネディの意志を丸無視して招待。ケイラは明らかに「ママ、ふっざけんな」という顔をしているケネディを目の当たりにするわ、人気の同級生が大勢集まるパーティに自分が行くなんて気が重すぎるわで、「あーありがとうございます。でもちょっとその日は行けるかどうか・・・」とやんわり逃げようとします。が! 親同士の交流の場FB(爆)のせいでお父さんも知り窮地に立たされる。さらにはケネディから「親が呼べっていうから」とメッセージが。不安だけどもこれをきっかけに変わるかもしれない、自信を持って強くなれる機会かもしれない。。。勇気を振り絞ってケネディの家に行きますが・・・

【感想】
めちゃくちゃ笑いました。 即興なの?と疑いたくなるくらいの自然体な台詞回しなのにオチ満載で、すげえ笑えます。ただ後半戦からこの笑いと同じ量とレベルで号泣です。こんなに泣いたのは、2013年の号泣映画と叫んだ(サムロックウェルの出てた)「The Way, Way Back」邦題がプールサイド・デイズ)?以来です。この世のおとーさん、おかーさん、あなたの大切なお子さんがティーンだったら1日24時間休みなく晒されている現実がこの映画に映し出されています。それはカメラ付き携帯とソーシャルメディアのおかげで人の目を気にしなければいけないレベルが、もはやわれわれの時代とは比べ物にならないくらい状態になっている、ということ。さらに、ティーンの物事に対するチェックの厳しさと辛辣さ、ダサいものへの冷酷さは、ご自身のお子さんひとりでも辛く苦しいプレッシャーと経験の数々かと思いますが、お子さん自身は、おくせんまん倍のプレッシャーの中で毎日暮らしているのです。
 結構数々のインタビューでボー君は語ってますが、「自分がステージなどで経験するプレッシャーと緊張、不安、そうしたものを一番直感で理解しているのが他でもない14歳のティーンエイジャーたちだった」ことがティーンにフォーカスする作品を制作するに至った経緯の一つだったそうなんですね。このコメントがこの映画のキモじゃないかと思います。
 子どもにとって学校は色々なタイプの人間に出会え、人間関係の学びの場である一方、逃げ場を与えてくれないところ。そのプレッシャーや不安は世代を超えて誰もが経験しているけれども、規模も種類も全く変わってしまっている。その違いはわかるけど、どう違うか共感・理解できてない気がする。じゃあ子どもたちが使っているアプリを知っていたらわかるのか? 一緒に参加したらわかるのか? てか、そもそもほんとに参加しているのか? 参加してると思ってるだけで実はハブにされてるだけじゃないのか? てかアプリ全部知らんといけないのか・・・? 
そうです。そんなことでは理解はできていない。deadlockな状態、大人とティーンの間にできてしまう理解や共感のギャップに橋をかけてくれているのがEighth Gradeだと思います。

と!16歳の娘をもつ母は思うのですよ。というわけで、見てください。ぜひ(号泣)

【グラスゴー映画祭のナマ・ボー写真】

ふぉっふぉっふぉっふぉ。
前よりふわっと感が無くなってました。もうすぐ30ボーはやっぱり重量感が出た気がします。ツイッターで散々愚痴ったけど、オレ側の方をインタビュアーが全く見てくれないので、オレら側の人間誰も質問できなかったんですよ!(怒)作中に登場するスポンジ・ボブのUSB スティックについて聞きたかったのに!ムキー!!!