楽しみにしている方が沢山いらっしゃると思うので、
タイトル通りの独断と偏見すぎる個人的感想です。
お気楽に流してください。
【これまでのお話】
英国のコメディが好き、という人にとってエドガー・ライト作品は全員登竜門ではないでしょうか。ココでキタ感がないと英国コメディの世界で右も左も前も後ろも普通に移動できないと言いきっちゃいます。そんなわけで、私もオタクとしての通過点として彼の作品には随分ハマらさせていただきました。人生最初に購入したDVDが「Spaced」S1で(当時VHSからDVDへの変換期の頃ですよ、みなさん!汗)サイモン・ペッグにもハマるわけですから、当時手に入る関連DVDは全部視聴します。グラインド・ハウスはエドガー・ライトの短編が目当で予約購入してますね。そういう時代でした。とくにSpaced , Shaun of the Dead, Hot Fuzzの3本は家にいるときはノンストップBGMVでした。多分英国コメディファンの方はみんなそんな感じだと思います。そうして、自然とエドガー・ライトの作品(笑い作りおよび絵作り)を肌で体得していくんです。なんじゃそりゃ!って思うかもしれませんが、それがエドガー・ライト作品を好きな人間たちであり、それくらい彼には確固たるスタイルがあり、強いカルト的ステイタスがある理由ではないかと思うんです。
【Ant-Manの感想】
上記のような人間がみた場合、エドガー・ライトとジョー・コーニッシュがもともとやろうとしていたこと、どこをどう直されて、直したけれども、要求通りまでは直せず、監督&作家交代劇になり、修正版原型のどこをどうかえて、こういう結果&絵作りになったのか、ということが非常に妄想しやすい作品でした。こまごまあるのですがとくにクライマックスでは、ああ、もしエドガーがコレを実際にとっていたら…という妄想がとまらなかったです。
ミロのヴィーナスには、腕がないから、最高に美しい。なぜなら観賞する人が腕を妄想できるから。私は、本作は誰がやろうとも、彼らのファンにとっては、ファンが妄想する”エドガー・ライトとジョー・コーニッシュがとことんやりたいようにやったAnt-Man”を超えられないし同格にもなれないと思います。もはや本人たち(エドガーとジョー)にも超えられないと思います。一部の人たちにそうなってしまったこの映画が可哀想だな、とも思います。じゃあ、この経緯がなかった場合の、映画作品自体はどうたったのか、はまた別のお話です。そこについては、とりあえず今は書くのは自粛したいと思います。
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