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2019年3月11日月曜日

(もしかしたらネタバレかも!)リッキー・ジャーヴェイス脚本・監督・主演、ネトフリTVシリーズ「アフター・ライフ/After Life」は素晴らしい作品です。バスデン効果抜きにしても超必見です。

日本でももちろん同時配信だと思います。
ネットフリックスで3月8日より大絶賛配信中のAfter Life。リッキー・ジャーヴェイスが脚本、監督を手がけ、キャストは今までリッキーのプロジェクトに関わってきたタレント勢含め、超イングランド人構成で、ロンドンとへメル・ハムステッドでほぼシングルカメラで撮影してる、超Lo-Fi作品。バスデンさんが義弟役でものすごい時間出演していることでもオレの中では超話題です。

スタッフ構成も抜かりなく、プロデューサーさんは数々の英コメディ番組を手がけるなか、ExtraとかLife is Too Shortとかリッキーと一緒にやっていたチャーリー・ハンソン氏。制作には意思疎通が肝ですからな。トレーラー。




(バスデン情報:22秒後くらいに出てます。たしか、そう騒いだ記憶が・・・)

一番簡単にいうと、「こんなことすでにやり尽くされてるじゃねーか」とか「何か新しいことを新しい角度でオレらしさが出る内容にしないと」とか的な邪念を取っ払って、ほんとのほんとにやりたいことを弄らずストレートに、思いを込めて、丹念に作る。そして周りもそれを邪魔しねーで信じて見守るってのが一番成功に繋がる、っていう例が増えたんじゃないかと思います。結果的にリッキーは誰もが新境地を開いたと賞賛する傑作を生み出したと思います。

The Office時から笑いの着眼点は一貫してますよね。その中に、社会の弱者や不器用者は含まれ続けている。その素材をどう見せるかというところで、The Officeはフォーマットも含めマイルストーン的大成功を遂げた、と。エキストラはさておき(リッキー自身がセレブ強者として認知される前後に制作されたセレブ強者を主に取り扱っているので)その後はポッドキャストを含め、論争の的になるコンテンツが多く、個人的にも複雑な感想を持ったことを書き続けておりました。で、こうした過去引っかかっていた要素が消化されているのがAfter Lifeと思いました(*1)。

After Life のリッキー扮するトニーは、ガンで亡くなった最愛の奥さん亡きいま、大絶賛鬱祭りでやり投げの人生を送ってます。言いたいことをいってやりたいことやって人を不快にして言動も失礼だけど文句ある? 世の中は頑張ったって努力したってそれを利用されるようにできてるんだよ。人に気い使ったって報われることなんてない。いつ人生終わったってかまやしない・・・と。職場の空気も知ったことか、彼を気遣う人の気持ちも知ったことか。子どもだから、とか、若者だから、とかそういった理解を一切示そうとしない。そんなことしたって何も物事良くならない。何しろ妻は戻ってこない。

 トニーは我々視聴者の視点で作られている。そしてトニー以外の登場人物たちはいわゆる社会の強者ではなく不器用な人たちで”奇妙”な要素を持ち、この「奇妙」さが、トニーに弄られ、時にダイレクトに、時に含みを持つ笑いどころになっています。これは、今までリッキーのTVコメディ他で見てきたスタイルであり、この正当性が(笑えるのか?という点も含め)論議を呼んでいいた原因のはず。なのですが、今回はきちんと機能しており効果を表しています。リッキーらしいダークなユーモアが効いている。これはなぜかといえば、登場人物たちはカリケチャーではなく、我々が共有できるように描かれているから。そして彼らはトニー(そして我々視聴者)と同じ位置にいるとはっきり描かれているから、が主な理由だと思います。
 具体例をあげると、エピソードが進むに従い、このキャラクターたちがトニーが奥さんを失ったことに対して理解はできるけれど、お前だけが人生辛いんじゃねーんだよ、みんな色々辛いんだよ。理由は様々だけどみんな辛いから互いに思いやるのが人ってもんだろ。それを与えて与えられて幸せ感じて何とか生きていくのが人生ってもんだろ、というこのシリーズ自体のメッセンジャーとなるところですね。
 編集部のレニーとか、トニーに弄れるキャラなんですよ。でも、彼がトニーを全うに批判するところ、そして弄られることを「寛容さ」として描き、その寛容さをトニーに気づかせ感謝させるという展開は「思いやり」を主なテーマの一つとする本シリーズに見事に繋がっている。

社会人として存在しているけど「ヘン」というキャラクターを共感・共有で作り込むのは全く珍しくない。てか昔から良作は大半がそれ。(After Life見てると、最近の傑作「Man Down」や「Uncle」も思い出しちゃう)。だからリッキーはThe Officeに続く(一貫した)自分色を出し、傑作かつ新境地を切り開こう、と別の方向へ別の方向へ進んで行っていたというのはあながち妄想ではないと思っています。別の方向は確かにやりたかったことだろうし、それをやったからこそ、今回のAfter Lifeがあるのだと思う。でもいろんなしがらみとかプレッシャーとか取っ払い、その環境が与えられ、真から作りたいこと、伝えたいメッセージと真っ向から向き合った時に、誰もが賞賛する傑作って生まれるんだな、と思いました。

 個人的には、グッとくるポイントは色々本当に細々あるのですが、一つだけ選ぶとしたら、S1最終話でトニーがケビン・ハートが表紙の雑誌を見て、芸人ならケビン・ハート、と話していたダイアン・モーガン(役名??)のことを思い出し、次のシーンで出社したダイアンがデスクにおいてある中身空っぽだったスノーボールにケビン・ハートの写真が入っているのを発見するところですね。ここで号泣スイッチ入りました。

人生の救いは「思いやり」です。(号泣)

バスデンさんがとにかくたくさん出てるので、見てください。オレ、ネトフリのキャプチャーの仕方がわからないので(普通にキャプっても黒くなる・・・)ビジュアルでご案内するバスデンさんにフォーカスした感想がかけないけど、きっと皆さんも「あーよかった」と思ってるに違いないので、よかったかなと思います。

(*1) DerekとかDavid Brent Movie とかネトフリで視聴可能のリッキーのスタンダップ、Humanityとか未見の人は視聴した方がより「なるほどね」感が増すかもしれません。
Derekの稲村感想はこちら →いやー読み返したけどちゃんと書いてるー(自画自賛)
David Brent Movieの稲村感想はこちら バスデンバスデンうるさいですけど、ちゃんと感想書いてます・・・

(*2) パターン構成というのは、
1トニーの奥さんが残したビデオ
2飼い犬ワンコとのおさんぽ外出(&郵便配達人とのやりとり)
3痴呆症のお父さんのいるケアホームの訪問(ケア担当女性とのやりとり)
4職場(義弟が編集長のローカル紙オフィスでトニーは1特の執筆を担当)
5奥さんのお墓訪問(夫を失った奥さんとベンチで話す)
ですね。




2 件のコメント:

  1. 初めまして。
    ひとつ疑問で、デレクもアフターライフもどちらも全く同じテーマ(性善説的な、デレクもS1最終話で最終話のトニーとほぼ同じ台詞を喋っています)だと思うのですが、どうしてデレクの方は1話だけ観てこれは笑えないからコメディではない(要約)という感想で切り捨てられているのでしょうか。
    個人的にはデレクもアフターライフも例えば介護職のような世間一般では「底辺」とされがちな人々へのリスペクトに溢れた素敵なドラマだと感じていたのでどうしても気になってしまいました。

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  2. こんにちは。 「コメディなのか?」というRethoricalな提議で「コメディではない」という断言はしてないですし、笑えないのは私の感想なだけです。おっしゃる通りよく考え抜くされたドラマだと思いますし、その点も書いているかと思います。ダラダラ長いのと、デレク単発で感想を書いてない&別の感想と繋がっちゃってる、わかりづらいかと思いますが、あくまで個人の感想なので、ご了承ください。受け止め方はコメディの趣味によって異なると思いますし、みなさんいろんな感想があって良いかと思います。

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